※2018.06.02 ご本人のお写真、著書紹介を記事の一番最後に追記いたしました。

 

日時 3月6日(火曜日)10時30分より

春の気配が感じられる穏やかな日、大先輩の溝井喜久子さんのご自宅に伺いました。溝井さんは昭和9年7月生まれで83歳ですが、取材に訪問した後輩2名をとても若々しい笑顔で迎えてくださいました。溝井さんは、フォロワー数8万人を超える「コンピューターおばあちゃん」として、各種メデイアで紹介され、ご著書も出されています。

昔、30年位前に同窓会総会の連絡があり、木原光知子さん海老名香葉子さんの講演がなどあったそうです。その後は全く連絡が無く、昨年同窓会会報が送られてきたので、総会に向けて手紙をくださいました。68歳の時、クラス会が開かれ、卒業してから50年、連絡がつく人は30名位だったそうです。情報を伝える道が今までなかったので、これからHPなどで様々な報告を聞くことができるようになることを期待されていました。

 

高校在校時の松女の様子

・昭和20年の敗戦の年、私は国民学校の5年生でした。初等科の6年を修了すると、女学校に進む者と高等科に進む者がいる時代でした。当時は学制改革の過渡期であり、昭和22年に新制中学が発足し、私はその最初の1年生になりました。そして私が高校に入学したのは昭和25年です。公立高校の試験科目は、国語・数学・理科・社会の四科目でした。四クラスあり、二クラスが普通科で、二クラスが家庭科でした。元々実科女学校として発足した学校でしたからその流れが

ありました。

校長は浅野光良先生で、高校を知ってもらおうと、卓球、テニス、ソフトボールなど、スポーツに力を注がれていました。また国語の先生なので小倉百人一首や文語文法を熱心に教えてくださいました。廊下の黒板に大学入試問題を出題され、解答して校長室に持って行くとその場で採点してくださいました。

・在学中に校歌と制服ができました。校歌の作詞は浅野校長先生で、作曲は高木東六先生でした。校歌のお披露目は講堂で盛大に行われました。ピアノは高木東六先生、歌は、ソプラノ歌手で声楽家の大谷きよ子さん(校長先生の教え子)でした。

制服は、家庭科の先生が見本を3種(セーラー、シャネルスーツ、ブレザー)作られ、生徒会の役員が投票して決まりました。セーラー服は多数の票を獲得したので、街で見かけると今でも思い出深いです。

 

・部活動は、弁論部に所属していました。埼玉県の高校弁論大会に3人一組の団体戦に出て優勝しました。記念写真は今でも持っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

高校1年生の時の写真を見せていただきました。(とても可愛い!)溝井さんは昔の写真などをスキャナーで取り込み、タブレットの中に保存されています。取材などで、写真の提供を求められた時、デジタルとして持っているとすぐに取り出せるそうです。さらに昭和22年の集合写真、小1の三越のワンピース姿のお写真などを拝見しました。70年以上経たお写真も色褪せず、すぐに見られ、素晴らしいと感じました。高校は文化部でしたが、卒業後趣味でテニスサークルに入られ、木村正先生の奥様ともサークルでご一緒したそうです。

明るいリビングルームには、ウォーキングマシンが設置されていました。テレビ局の要望で、マシンで運動したり、買い物に行かれたりもするそうです。「年をとっても元気な人は元気」とおっしゃり、習い事を沢山経験されたり、PTAの役員もなさり、「おしゃべりできることは元気の素」とも語られました。

今、現在どのような生活をなさっていらっしゃるか

・テレビ、新聞、雑誌などの取材を受けることが多いです。ツイッターで、中学生から90歳の方と多くのやりとりができるのがはりあい、元気の素です。

機器は、説明書など読むより、まず使ってみると良いです。壊すなどと恐れず、やってみないと進歩しません。64歳からパソコンを始め、(それまではパソコンは高価)今、機器は13台あります。新しい機器には興味が湧きます。子供がおもちゃで自由に遊ぶように、大変とか難しいとか思わず、使ってみることが大切です。

同窓会でHPを開設すると、それを同窓生に知らせる必要があります。会員が書き込める場所を作らないと意味がないです。各界でで、活躍されている同窓生が伝えたいことがあるかもしれませんし、そうした情報を共有することは、会員の励みにもなります。

ネット利用はとても便利です。やってない人を基準にするのではなく、そういう人もやってみようと思ってほしいです。電話は時間の制約を受けますし、多数に知らせるのも大変です。メールの便利さを知ることは、人に対しても面倒をみてあげられることです。昔は電話がない家が多くあり、なくても困らなかったですが、時代が変わると今まで困らなかったことが困るようになるのです。

・友人、知人が多いので、一緒に食事をするのが楽しみです。多くの習い事をしました(太極拳・三味線・刻字・和裁・料理・盆栽など)が、今は茶道を月2回続けています。気の合った仲間とおしゃべりするのは楽しいです。人と上手く付き合えないとか、長続きしないのは、楽しい人生ではないと思います。

・料理は全て自分で作ります。一人暮らしだと、下処理したものを小分けにして冷凍したりなど工夫が必要です。SNSで朝昼晩の食事を撮しています。

・お花が好きなので、庭などの手入れをしています。

(明るいリビングルームから広々としたお庭を眺めると、多くの花々が美しく咲いていました。整えられた葡萄棚もあり、四季折々に素敵な景色が見られるであろうと想像しました。)

松女生に望むこと

今は学生だから、まず勉強ですが、部活でも何でもやりたいことを思いっきりやれば良いと思います。将来それが役に立つかどうか考えたり、こうなることを予測してやるのではなく、自分の意志でやる、それが大切です。老後もそうやってやってきた方が元気でいられます。

ツイッターは楽しいからやっていましたが、電通のシニアアドバイザーをしたり、ビジネス誌に取り上げられたりなどに繋がりました。何をやったらいいか分からない高校生がいてもしかたがないですが、親の「そんなことをやって何になるの」という言葉はいけないと思います。

また、自分の思うような生き方をしたかったら、結婚して親と同居するのは良くないです。すでに人が暮らしていた家に入ってゆく、人の流儀に合わせるのは難しいし、思うようにゆかないです。

私の高校時代は、進学の体制が整っていなかったし、大学進学する人は少なかったので、自分で調べて受験勉強をしました。微積の授業の選択者も少なく教科書もほとんど進まないので、受験勉強は自分で頑張りました。当時は社会に役立つ凜とした女性より、良妻賢母になることが大切な時代でしたから。国立一期の試験は3月3,4日。この時期はよく雪が降りました。

チャレンジ精神は生まれつきのものですが、親の考え方に理解がありました。

結婚してからも、相手の両親に理解がありました。女性も、災害があったりしたら、頭で考えて動けなくてはなりません。

【松女100周年に向けて】

すごい伝統です。長い歳月の中で色々な人が色々な分野で活躍していると思います。それが分かるような情報の共有ができるといいですし、それがあって私たち同窓生も元気になれます。

私のクラスメイトも80歳すぎて生きているかも分からないですが、テレビ出演したり、本を出したりすると電話をくれたりします。活躍している同窓生がいると励みになると言ってもらえます。

 

☆雑談の中で;溝井さんがお話の中で、「凜として」という言葉を使われました。テレビで吉永小百合さんが「やりたいことは自分で決めて自分で責任を持つ」と語られていたという話題を申し上げると、溝井さんのお考えと同じであることがわかり、「凜として」の真意に寄り添うことができました。

また、今のお年寄りで、年を取ったら子供の世話になろうという人は凜としていないと語られました。一人で暮らすには経済力も必要ですが、人を当てにしたり、人のものを頼りにしないで、自分の持てるものでやろうとすること。税金、様々な書類、確定申告もパソコンでなど、一人で暮らすためには脳がなくては、と話されました。

 

☆温かい笑顔で、出迎えてくださって、美味しい(本当に美味しかった)お茶も入れていただき、あっという間に2時間経過してしまいました。テレビでお目にかかっていたので、イメージはしていたものの、83歳って、こんなに聡明でお元気なのかと、改めて感激し、素敵な先輩という熱い思いを抱いて溝井家の扉を閉めました。お忙しい中、後輩のためお時間を作ってくださり、本当にありがとうございました。

                            (文責 菊池初江・会川淳子)

 

【著書紹介】

『何がいいかなんて終わってみないとわかりません』2015/12/24発行 角川マガジンズ

『キクコさんのつぶやき 83歳の私がツイッターで伝えたいこと』2018/2/24発行 ユサブル